「ウォン・カーウァイ監督の最高傑作」

 ミケランジェロ・アントニオーニ、スティーブン・ソダーバーグ、ウォン・カーウァイの、3人の監督によるオムニバス映画、「愛の神、エロス」。上記はウォン・カーウァイが監督した「若き仕立屋の恋(原題:THE HAND)」に対するキャッチコピーである。よくある宣伝文句であり、初めはなんとも大げさなものに思えたが、映画を見終わった後は、なるほど、と思った。この「若き仕立屋の恋」は、ウォン・カーウァイ監督作品の中でも非常に完成された作品で、「2046」に今ひとつピンと来なかった人にもぜひ観てほしい映画である。
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■ コン・リーとチャン・チェン

 貫禄すら感じられるコン・リーと若いチャン・チェン・・・。ラブストーリーというだけでストーリーも定かではなかった頃、発表された主演二人の組み合わせを不思議に思ったものだが、そんな心配は杞憂に終わった。配役が見事にストーリーにはまっている。気位が高く、華やかな生活をしていた高級娼婦のホアが、病にむしばまれていく身体と共にだんだんと落ちぶれていく様を、コン・リーが見事に演じている。また、チャン・チェンについては、「ブエノスアイレス」や「Six Days(※1)」等にも出演していた事から、当然その存在に注目はしていたのだが、この作品では予想を上回る演技を見せてくれた。ホアと初めて出会った時の純粋な見習い青年から、成長した青年仕立屋まで、見事に演じきっている。派手なセリフやモノローグがあるわけではなく、どちらかというと沈黙のシーンが多い作品であるが、彼の姿からは抑制された想いを感じる事ができた。作品を見終えた今では、この二人に代わるキャストが思いつかないほどである。

※1 「Six Days」・・・ウォン・カーウァイが監督した、イギリスヒップホップシーン注目のアーティスト・DJ Shadowのミュージックビデオ


■ 衣装と物語

 この作品は、仕立屋の恋、というタイトルの通り、衣装とストーリーが密接に関わっている。1960年代を表す衣装・美術については、2000年に発表された「花様年華」でも高く評価されたが、この作品ではさらに華やかな衣装を目にすることができる。ワーキング・ウーマンで人妻である「花様年華」のリーチェンに比べ、高級娼婦であるホアのファッションは、非常に高級感があり、その美しさにはため息をつかずにいられない。衣装はすべてウィリアム・チョンによる一点物だという事だが、数々のきらびやかなドレスを見るだけでもこの映画を観る価値があると思う。
 また、チャンの衣服も彼の心情を表す重要な意味を持っている。見習い時代、初めてホアの家を訪ねた時のチャンはボタンの上を開けた、ラフなシャツ姿であり、青年特有の無知や純粋さを表しているかのように見える。ホアを知り、仕立屋として成長してからの彼は、タイをきっちりと締めた隙のないスーツ姿であり、言動同様、彼のストイックさを表している。一方、チャンがランニングシャツ一枚の無防備な姿をさらす仕事場は、彼の秘めた心の内をさらけ出す場となっている。

■ 抑制されたエロチシズムと触れ合い

 「エロス」をテーマにした作品であるが、この作品には直接的なベッドシーンの描写や、裸体を映したシーンなどは存在しない。しかし様々な音や描写によって、却ってそのエロチシズムを感じることができる。チャンが仕事場で一人、ホアのドレスに手を通し、彼女を想うシーンなどは、身体にぴったりとなじむチャイナドレスならではの描写ではないだろうか。彼はホアに触れただけで、そのサイズを読みとることができる。しかし、もちろん直接その肌に触れたわけではない。あくまで服を仕立てる為、採寸の際に服の上から彼女に触れた事しかないのである。そんなチャンの抑制された想いがにじみ出るシーンは、観る者の想像をもかき立てる。
 「最後のチャンスなの。力になって」・・・落ちぶれてもなお、パトロンを得ようとするホア。他の男の元へ向かうと言う彼女を、ただ無言で背中から抱きしめるチャン。自身のプライドと、チャンと自分の境遇の差の為に、彼の想いを受け入れられないホアと、ただ黙して彼女を想うチャンの姿が切ない。そして、最後に想いを通じ合わせ、手で触れ合う二人。自分の病がうつらないように、チャンのキスを避けるホアが痛ましい。この作品は中国・香港でSARSが流行し、大きな騒動になった年に撮影され、スタッフの間でさえも触れ合う事に対して緊張感があったそうだ。そんな中で、監督は改めて触れ合う事の大切さを感じたという。悲しくも美しい、愛欲よりも精神的な繋がりを感じるラブシーンが強く印象に残った。

■ 他作品との繋がり

 街娼に身を落としたホアが常宿とした、パレスホテル。あの看板に見覚えがある人も少なくないだろう。パレスホテルは「2046」でトニー・レオン演じるチャウが住んでいたホテルである。時代も同じ1960年代という事で、登場人物同士がホテルですれ違っているかもしれない、とウォン監督もインタビューで答えていた。ウォン・カーウァイ監督の作品には、このように、いつもちょっとした遊び心が隠されている。この「若き仕立屋の恋」は「2046」の撮影の合間に短期間で撮った作品だそうだが、そんな事を考えながら、改めて「2046」やこの作品を観ると、新たな発見があるかもしれない。
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 「若き仕立屋の恋」は約40分程度の短編であるが、助長に感じる部分がなく、ウォン・カーウァイの他の作品に比べて内容がわかりやすい。また撮影期間も短かったようだが、却って作品に集中力が見られる。ストーリー、キャスト、衣装、音楽、その全てに過不足がなく、最高傑作、との唄い文句もあながち嘘ではないと思われる。上映館はあまり多くないが、ぜひ多くの人に観てほしい作品だと思った。

(2005.05.09)